雑多、日常

育児ノイローゼだった時の話 40

SaKaMu

今となっては理解があって良い母親みたいな雰囲気醸し出してるけど、当然ずーっと良い母親だったわけでなく、酸いも甘いも嚙み分けて、色んな所にぶち当たりながら段々と凸凹が削れて丸くなって来たわけで…。

今振り返ると、人生で一番の転機は自分が母親になった時だと思う。結構子供好きで周りの友達が妊娠、出産していくのを羨ましく思っていた。そろそろ病院へ通った方がいいのではないか?と夫婦で話し合いが出てきた頃、結婚4年目にして待望の第一子が出来た。

妊娠中は楽しみで仕方なかった。ただ、6ヶ月の頃、引っ越しをして、荷解きをやり過ぎたためか、夜中に不正出血をして、診てもらった。切迫早産と診断され、出産するまでお腹の張り不正出血、貧血症状はずーっと続いていた。怖くて妊娠後期はほとんど家に引きこもり状態で過ごしていた。

かなり筋力も体力も落ちていたので、出産も苦労した。めちゃお腹の上から押されて、下から引っ張られて、やっとこさ産んだ。その後は貧血で、しばらくフラフラで、体力が無かった。退院の日貧血でもう少し入院するように薦められたけど、ベビーの方は問題なく、1泊は自費扱いになりプラスで2万円加算されると言われ断って、退院させてもらった。そして、支えられて帰って来た。しばらくは、実家の母が手伝いに泊りがけで来てくれていた。

私は母乳があまり出ず、ベビーも吸う力が弱かったので、搾乳機を買って頑張って搾り出していた。それも哺乳瓶に入れて飲ませるんだけど、足りないから粉ミルクも併用していた。

起きている時はほとんど搾乳機を使い無理やり搾り出していた。手動のレバーをしゅぽしゅぽ押すもので、腱鞘炎になるんじゃないか?って位だった。とにかく眠れもせず、体力も精神力もかなり疲弊していたと思う。

後で聞いた話出産後は特有のホルモンが出てあまり寝なくても大丈夫なようになっていると言われた。けど、常にイライラ抱っこしてないと泣くのもしんどかった。

初めて自分の命よりも大切な物を授かった、と思うと同時に、今まで自分の自由な時間軸で生きてきたのに、眠い時に眠れない、完全に人に合わせて行かなきゃいけないというストレスで、抱っこしてるのも辛い時があった。ちなみに当時旦那さんは、長期出張していてあまり家に帰ってくることが少なかった。

あまりのしんどさに1ヶ月で、母乳は諦めて粉ミルクだけに変えた。

何とかお願いして、母親には2ヶ月いてもらった。が、さすがにそれ以上は無理だと実家に帰って行った。

引っ越ししてから近所に友達も知り合いもほとんどいず、意思疎通が取れないベビーとずっーと二人きりで、引きこもりのような生活をしていた。ベビーと一緒に毎日泣いて過ごしていた。

ある日何かの本を読んで哺乳瓶に白湯を入れて飲ませてみた。普段ならもっと頻繫に、2時間に一度は何かしらで泣いていた子がしばらく数時間泣かなかった。

こんなに泣かないのはもしかして、白湯が変な所に入って泣けなくなってしまったのでは?

パニック状態になり、かかりつけの病院に緊急で診てもらうように電話して、夜タクシーで病院に連れて行った。しばらく待っていたら、ベビーが泣き出した。

自分の番が来て経緯を、説明。当然なんの問題も無かった。ただ、大人とまともに会話して、少し冷静さを取り戻した。

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SaKaMu
SaKaMu
40代パート主婦
アラフィフ Mrs.GREEN APPLEオタク JAM'S 推し活を通して人生をより豊かなものにしていくための提案をしていきたい
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